寒露(かんろ)  
    二十四節気の一つ。 10月8日頃。  七十二候  
     
   冷気に当たって露が凍る時期。および霜降までの間。雁が北からやってきます。また、キクの花が咲き始めます。そうして、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止みます。  
 
 露  露
 
 
 露  露
 
   「日の出の光を受けた露」 平成20年10月18日(土) 午前6時30分頃撮影  
     
   朝焼けの真っ赤な太陽の光と、雲一つない西の夜明けの空にうっすらと照らし出され月の光に照らされた露は赤く染まっていました。
天照大神と月読神の光を受けた泡沫(うたかた)の露は宝石のように輝き綺麗でした。
「露」に関しては二十四節気の一つ「白露」(9月8日、9日頃)があります。
 
 
 日の出  月
 
   平成20年10月18日(土) 午前6時頃撮影  
     
   秋晴れ−秋に3日の晴れなし−
秋の澄み渡った晴天のことで、秋の特徴の一つです。低気圧の通過による雨(秋雨)によって大気中のチリを落とし、その後やって来る高気圧によって、低温で乾燥した空気が大陸から運ばれ、澄み渡ったさわやかな晴天になります。
 
     
   早い日没−秋の日はつるべ落とし−
秋の季節は、日中は夏のような陽気で汗ばむことも多く、野外活動に絶好のコンディションですが、夕方からは意外に早く日没となるので活動には注意が必要です。
 
     
  渡り鳥−冬鳥−
日本で冬を過ごす鳥。ツグミジョウビタキユリカモメマガモオオハクチョウ
マナヅルオオワシなど。 
 
 
マガモ(左)                   マガモと白鷺(右)
 マガモ  マガモと白鷺
 
 
ゴイサギ(左)                    白鷺(右) 
 ゴイサギ 白鷺(しらさぎ) 
 
     
   渡り鳥が登場する文献に古事記・日本書紀があります。古事記の巻第六の垂仁天皇の条に「鳥取部」のことが出てきます。  
  −日本書紀−
天皇の御子、誉津別(ほむつわけ)王は、30歳になっても言葉を話しませんでした。ところがある日、空を飛んでいた鵠(くぐい:白鳥のこと)を見て「是何物ぞ」と、生まれて初めて言葉を発したのです。喜んだ天皇は、誰かその鳥を捕まえられないかと聞きます。それに応じた天湯河板挙(あめのゆかわたな)が鳥を追い求め、ついに出雲で捕らえ皇子に献上しました。すると、皇子が話せるようになったので、天皇は天湯河板挙の功績に報い、「鳥取造」という姓を与えるとともに「鳥取部」などを定めたということです。
−古事記−
大人になっても話をしない本牟智和気(ほむちわけ)御子が、鵠(白鳥)の声を聞いて言葉を発するところから始まります。そして、垂仁天皇の命を受けた山辺の大たかが、その白鳥を追い求めて日本各地を巡った末、ようやく高志国(今の新潟県)で捕え献上します。(しかし、古事記では、白鳥を献上しても皇子は話すようになりません。)天皇が心配していると、ある神が夢に現れて「私の宮を修理したら御子は話せるようになるだろう」と告げます。占いをしたら、その神は出雲大神(つまり大国主命)だということが分かりました。そこで皇子がお供を従えて出雲まで詣でたところ、その帰りに言葉が話せるようになりました。天皇は喜び、御子にちなんで「鳥取部」などを定めたということです。 
 
     
  和名類聚抄では、鳥取郷は、河内国(現在の大阪府)・和泉国(大阪府)・因幡国(鳥取県)・越中国(富山県)・丹後国(京都府)・備前国(岡山県)・肥後国(熊本県)にも出てきます。このように各地に広く分布しているのは、鳥取郷という名が、その地に住んでいたであろう鳥取部という部民(豪族などに服属していた職業集団)に由来するからだといわれています。   
     
  大阪府の鳥取   
  大阪府には、「鳥取」という地名の系統は2つあります。
阪南市内には、「鳥取」、「和泉鳥取」、「鳥取中」、「鳥取三井」といった地名が現在も残っています。その起源は、古事記の「鳥取の河上宮」に遡ることができる由緒ある地名です。奈良時代の法隆寺の『伽藍縁起并流記資材帳』や平安時代の『和名類聚抄』に現れる「和泉国日根郡鳥取郷」、鎌倉時代から戦国時代の「鳥取庄」などを経て、現在に続きます。
また、『和名類聚抄』には「河内国大県郡鳥取郷」という地名も現れます。残念ながら、こちらの「鳥取」は現在まで続いていませんが、古代の寺院・集落跡があって「鳥取千軒」とも呼ばれてきた、柏原市青谷(あおたに)の周辺であろうといわれています。 
 
     
  鳥取神社:阪南市石田164
波太神社:阪南市石田167
楫取神社:阪南市鳥取706
天湯川田神社:柏原市高井田89 
 
     
   「鳥取」の地名、関係神社(北海道の鳥取の地名は明治時代の士族授産や殖産興業政策の一環で、鳥取県民が移住した入植地)