彼岸の入り
雑節の一つ。


  春の彼岸の入りは3月17日又は18日
秋の彼岸の入りは9月20日又は21日 
 
  「彼岸会(ひがんえ)」とは春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のことです。
彼岸の始めの日を「彼岸の入り」といい、終わりの日を「彼岸の明け」といいます。この間先祖の霊を供養し、墓参などが行われます。 
 
  彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」といいます。   
     
  彼岸の仏事は浄土思想に由来します。   
  −西方極楽浄土−
極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると浄土思想で信じられています。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。 
 
     
     
  お彼岸に仏教行事が行われるようになったのは、浄土思想が盛んになる平安時代中期のことです。
春分、秋分に、沈む太陽を見て、上記に示したように西方極楽浄土を思い描く「日想観」という修行が盛んに行われます。
この修行をすることで極楽浄土に行けるとして、寺々ではしきりと法要を営むようになります。
特に大阪の四天王寺の西門は、極楽の東門に通じていると信じられていたため、多くの人が西日を拝みに集まったといいます。
宝永2年(1705)に奉納された布忍神社の「布忍八景扁額」の二景「孤村の夕照」に「ながいかげ のびしにしびの 下界かな」という廻文があります。上から読んでも下から読んでも同じです。この句は、「極楽浄土から照る西日で出来た影が伸びる東、私たちが住んでいる下界がこの世なのですよ」と言ってるのです。
私たちには祖先から「夕陽を愛でる」という習慣があったのです。それは極楽浄土に対する憧れだったのでしょう。
四天王寺では西日を拝んだあと、西方極楽浄土を目指して歩き出し、そのまま大阪湾に入水する事も多かったそうです。下記に記す天王寺の七坂はまさに西方極楽浄土に通じる坂だったのです。
沈む太陽や朝日を拝むということは、西方極楽浄土の仏教思想と、生まれる事の象徴としての神道思想の産霊(むすひ)思想とが混沌として生まれたのでしょう。
春分、秋分の日に「日迎え、日送り」という太陽に向かって一日歩き続ける行事もありました。 
 
     
  −上町台地−
上町台地は大坂城のあるところから南の住吉大社まで続く台地で、坂が多く大坂の語源と言われます。
現在の天王寺区で生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)から四天王寺にかけての台地の西斜面にお寺が沢山ある地域が寺町と言われた地域です。
上町台地から見る西方には大阪湾があり、大阪の海に沈む太陽の彼方は、まさに浄土思想による西方浄土だったのでしょう。
ここにある寺院の多くが浄土宗の寺であるのが納得できます。
この地域の町名に城南寺町(じょうなんじちょう)・餌差町(えさしまち)・中寺町(なかでらまち)・生玉町(いくたまちょう)・生玉寺町(いくたまてらまち)・夕陽ヶ丘(ゆうひがおか)・六万体町(ろくまんたいちょう)・下寺町(したでらまち)・伶人町(れいじんまち)があります。
天王寺の七坂があるのもこの地域です。 
 
     
  −天王寺の七坂− 北から順に   
  真言坂(しんごんざか):生國魂神社の北側にある南北の坂。    
 
真言坂(しんごんざか)
 
     
  源聖寺坂(げんしょうじざか):坂の下に浄土宗・源聖寺がある。   
 
 
  口縄坂(くちなわざか)   
   
  愛染坂(あいぜんざか):坂の上に勝鬘院(愛染堂)がある。   
 
 
  清水坂(きよみずざか):清水寺の北側にある。   
 
 
  天神坂(てんじんざか):安井神社(安居天満宮)へ通じる坂。   
 
 
  逢坂(おうさか):一心寺の北側の国道25号線の坂。   
 
 
     

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